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適当徒然

適当に徒然なことを記事にします。

"魔境"

 某日、某所で聞いた僧侶の説法を思い出しながら入力。


 禅宗においては、「魔境」という境地――つまり状態ですね――の概念があります。
 これは人によるので一概には言えませんが、例えば、修行者が修行をしている間に、素晴らしい感覚を感じたり、大いなる光や存在、御仏を見たりすることがあります。それに対して彼らが、これらを感得――簡単に言えば得ることです――した自分は素晴らしい人間なのだという全能感や大悟――悟りを開いたと感じることです――を感じてしまうこと、これを「魔境に陥る」と表現するのです。辞書には「人を誘惑して逃れられなくさせる場所」という解説がありますが、まさにその通りで、魔境に陥った時点で修行をやめた修行者はその後、その状態から抜け出せなくなり、多くは尊大な人間のまま、余生を過ごすことになります。
 臨済宗では「仏を見たなら仏を殺せ」なんていう物騒な言葉がありますが、要は「それは夢幻なのだから、心を動かすことなく受け流しなさい」ということなのです。
 この「受け流す」ことが大事なんですね。何事にも心を大きく動かされることなく、己をしっかりと保って日々を生きることに努める。つまり、一日一日をしっかりと生きることそのものが修行なのです。そのため、修行は永劫に続くのです。

 これは皆さんも同じなんです。
 御仏や僧侶への盲目的な崇敬、啓蒙的な本を読んだり話を聞いたりして、悟ったと感じること。
 より身近なものなら、単純な正義感から、愛情、嫉み、妬み、怨みといった色々な感情。
 脳科学では、これら感情の発生は単純に、ドーパミンやセロトニン、オキシトシンといった脳内ホルモン、脳内麻薬の作用なんだそうです。麻薬ですよ。つまり、感情のままに動いている状態、感情に支配された状態もまた、「魔境に陥っている」状態なんだと、私はそう思います。
 誤解しないでいただきたいのは、私は感情を否定してはいません。感情は大事です。ですが、それに飲み込まれてはいけない、ということです。
 感情に飲まれていると、普段は気付けることにも気付けないようになります。そのために起きた悲劇が、毎日ニュースで流されます。
 悲劇を起こさないために、感情は大事にしつつも、それに飲み込まれることなく冷静に受け流す。そして、己をしっかりと保って日々を生きることに努める。これは皆さんにも、誰にでもできますが難しい、だからこそ修行なんですね。

 皆さんが修行に努め、日々を何事もなく過ごせるように祈念致します。ご清聴、ありがとうございました。
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テーマ:仏教・佛教 - ジャンル:学問・文化・芸術

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