niwakaの“あくまで個人の感想です。”

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両性具有―ヨーロッパ文化のなかの「あいまいな存在」の歴史


両性具有―ヨーロッパ文化のなかの「あいまいな存在」の歴史両性具有―ヨーロッパ文化のなかの「あいまいな存在」の歴史
(2003/03)
パトリック グライユ

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 男女の両性を併せ持つ存在――『両性具有』は古来、「対立する両極が一体化」していたことから自立的で神聖を備えた存在、「完全性」の象徴だった。だが時代を経ていく内に神聖性は反転し、冒涜視されるようになる。
 様々な学問が発展途上中だった17~18世紀のヨーロッパにおいて、学者、医者、宗教家、芸術家、庶民は『両性具有』に対してどのように関わり、感じ、判断していったのか。そして現実の両性具有者――半陰陽者たちはどう翻弄されていったのか。
 様々な資料を紐解くことで浮かび上がってきた、当時の“半陰陽”の歴史とは。

 希少で貴重な図版も多数掲載。


 アンドロギュヌス、ふたなり、半陰陽、両性具有――。
 現代でこそ、偏見は残るものの、きちんとした配慮や対応をされている人々だが、これが数世紀遡ると、宗教者からは敵視され、芸術家からは神聖視され、医学者からは解剖学的興味の視線で見られ、庶民からは好奇や蔑視の視線を向けられ、人権やプライバシーなど全くなかった。
 一部の啓蒙的な思想家や医学者は彼らに対して科学的考察を試みたが、それが彼らを助ける一方で、偏見を助長したり新たな偏見を生み出したりするという悪循環も生み出した。当事者としては悲劇だろうが、その啓蒙精神の結果として、整形手術ができる医師がいて、手術を受ける権利があって、日本を含む世界各地にIS運動団体が存在しているのだ。
 創作物においては、性行為を描くけど男は描きたくない、または描けない場合の対策としてだったり、フェティシズムとしてだったり、ギャグとしてだったり、はたまたキャラクターの個性の一つとして「“ファンタジー”としての『両性具有』」という設定が設けられることが少なからずある。
 しかし、「“ファンタジー”としての『両性具有』」の氾濫はいずれ「“現実”の『両性具有』」に対する偏見を助長し、彼らの苦悩を強めるではないか。この本に書かれた芸術史、医学史、裁判の判例を読み終えて、ふとそう思ったが、これもまた、誤解と偏見に因る考え方なのかも知れない。
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テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

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