好古家の怪談集 ~消えた心臓/マグヌス伯爵~
英国生まれの古文書学者で、聖書学者で、そして怪談作家という異色の経歴を持つ作家、M.R.ジェイムズ。元々作家志望ではありませんでしたが、生来の怪談好きが高じて創作怪談を自作しては茶話会でそれを朗読し披露していました。
処女作である怪談集も、本来の目的は親友の絵を世に売り出すことだったのですが、その出来が評判を呼び、怪談作家としての地位が確立されたのです。
本書は処女作である『好古家の怪談集』の南條竹則氏による新訳本です。ラヴクラフトの作風に影響を与えたとされるのも尤もで、所々で後のクトゥルフ神話を思わせる表現が出てきます。
ブラックウッド、マッケンとともに近代イギリス怪奇小説の三巨匠と称される、ジェイムズの古典怪談集。全体的にすっきりしない結末の作品ばかりですが、現代実話怪談に慣れた者ならむしろ受け入れやすいでしょう。温故知新の恐怖は、熟成された食品のように味わい深い。
以下、なるべくネタバレ無しの各話感想。
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秘書綺譚~ブラックウッド幻想怪奇傑作集~
妖精事典
妖精:人間の姿をした精霊。人間界に密接した世界に住み、変幻自在の超自然的な存在。虫の羽を持ち、空を飛ぶ悪戯好きの小人。
しかし、妖精に対するそれらのイメージは後世に、良く言えば洗練、悪く言えば歪曲されたものだった!
ケルト圏を含む英国諸島や西欧に伝わる妖精の伝承を、戯曲等の創作からの引用も含めて網羅的に収録した、妖精の原点、妖精の原型を知ることができる、妖精伝承の百科事典。
通して読むと解るのが、「ヨーロッパの妖精とアジアの妖怪の、なんとよく似ていることか!」
自然の象徴だったり、生前は人間だったり、人間と子を成したり、行いに対して報奨または懲罰を加えたり。
妖精の原型を理解すれば、ケルト神話に傾倒していた外来人であるラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲が日本の伝承譚や妖怪譚に惹かれたのも頷けるだろう。
また、TYPE-MOON / 型月 作品での妖精の概要が、キリスト教浸透以前、つまりはケルト神話系に近いので、『Fate/Grand Order』で妖精に興味を持ったなら、最近の事典やWikipediaよりも、こちらを読むことをお薦めしたい。
白魔
ヴィクトリア朝時代の英国ウェールズに産まれた稀代の作家アーサー・マッケン。牧師の子であったがアーサー王伝説の色濃いウェールズで育った故か、神学と同時に隠秘学(オカルト)にも傾倒し、前期はケルト神話やギリシア神話をモチーフとした幻想的な怪奇小説を連続して発表したが、いずれも当時の価値観に合わず「不道徳な汚物文学」として批判された。
本書は翻訳家である南條竹則による「彼岸」と「女性」をテーマにしたマッケン作品の選集である。
以下、ネタバレ無しの各話感想。
テーマ:SF・ホラー・ファンタジー - ジャンル:小説・文学
ひどい民話を語る会
娯楽が少ない時代において、貴重なその一つだった「民話」。現代までに伝わるのは、時代を経るにつれて洗練され、専門の学者に拾われ、近現代の(一部の人間による)価値観に合わせて改変されたり歪曲されたりしたものばかりである。では、日の目を見ない、歴史の闇に眠る民話のバリエーションとは――?
メジャーな昔話の陰に埋もれた選りすぐりの「ひどい民話」を掘り出して紹介する伝説的トークイベント「ひどい民話を語る会」を書籍化!
かつて昔話は、子供を寝かしつけたり暇を慰めたりするために語られるものでした。「つまらない」とか「それもう聞いた」とかで子供が耳を傾けない。そうならないよう、語り部は創意工夫をします。なんなら相手の様子次第で、語っている途中でアドリブで話を変えてしまうことも。そして話を盛ったり展開を変えたりして、バリエーションが増えるわけです。
もちろん語り部もただの親だったり親戚だったりするわけで、語りのプロではないので結局話として破綻していたり、シモネタエロネタのオンパレードになってしまうことも。 ――でも。
もう一度言いますが、娯楽が少ない時代において、「民話」は貴重なその一つでした。語る人の数だけバリエーションは増えます。その中で傑作も生まれれば駄作珍作も生まれます。その駄作珍作こそが「ひどい民話」なのです。
「ひどい民話」こその珍妙な味わい。言わば珍味のようなもの。これをバッサリ捨ててしまうのは勿体ないと思う人は、ぜひ本書を元に民話の世界へ入ってみてください。もっと「ひどい民話」が見つかるかもしれませんよ?
メジャーな昔話の陰に埋もれた選りすぐりの「ひどい民話」を掘り出して紹介する伝説的トークイベント「ひどい民話を語る会」を書籍化!
かつて昔話は、子供を寝かしつけたり暇を慰めたりするために語られるものでした。「つまらない」とか「それもう聞いた」とかで子供が耳を傾けない。そうならないよう、語り部は創意工夫をします。なんなら相手の様子次第で、語っている途中でアドリブで話を変えてしまうことも。そして話を盛ったり展開を変えたりして、バリエーションが増えるわけです。
もちろん語り部もただの親だったり親戚だったりするわけで、語りのプロではないので結局話として破綻していたり、シモネタエロネタのオンパレードになってしまうことも。 ――でも。
もう一度言いますが、娯楽が少ない時代において、「民話」は貴重なその一つでした。語る人の数だけバリエーションは増えます。その中で傑作も生まれれば駄作珍作も生まれます。その駄作珍作こそが「ひどい民話」なのです。
「ひどい民話」こその珍妙な味わい。言わば珍味のようなもの。これをバッサリ捨ててしまうのは勿体ないと思う人は、ぜひ本書を元に民話の世界へ入ってみてください。もっと「ひどい民話」が見つかるかもしれませんよ?