虚無への供物
一九五四年十二月。共に洞爺丸事故で両親を失った氷沼蒼司・紅司兄弟と従弟の藍司は一つ屋根の下で生活していたが、紅司が風呂場で変死する。蒼司の同級生で友人の亜利夫は、そのことを友人である久生に伝えると、久生は「その死は二十年も前から決まっていた殺人」と言う。
事故で片付いているにも関わらず、亜利夫、久生、藍司に、氷沼家のお目付け役である藤木田老人の四人は紅司を殺した犯人を巡って推理合戦を繰り広げるが、素人探偵の哀しさ、いずれの推理も穴を指摘されては潰されてしまう。
その三ヶ月後、またしても氷沼家で人死が出てしまう。その被害者は、先日の推理合戦で一番の容疑者と目される人物だった。
はたして、これはただの偶然なのか、それとも連続した殺人事件なのか。散りばめられた事象から暗号を見出しては推理を構築し、それを他者から崩される繰り返しの末に、登場人物たちが迎える事件の結末は。
推理小説として読めば、その結末に面食らうこと必至だろう。だが物語として読むと、その内容はとても現実的だ。毎日生み出される「事件」と、突然にその「事件」の当事者になってしまった登場人物と、それを遠巻きに眺める傍観者。それは現実でも、現代でも当たり前に毎日起きる。
殺人者の最後の告発は、あまりにも厳しく哀しい。あの言葉は、読者で、視聴者で、傍観者である"我々"に対する、事件の当事者の代弁でもある。
「お前たちは当事者でないから好き勝手に事件を推理したり当事者を慰めたり非難したりできる。しかし、当事者の苦痛を本当に理解することはないだろう。」
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