ウェンディゴ (ナイトランド叢書)
殺人の人類史 下巻
人はなぜ他者に危害を加えようとする衝動に駆られるのか。
加害行動は、一部の理性や良心を持たない人たちの異常な行動ではない。条件さえ揃えば、善人もまた他者を害し、命を奪う側になるのだ。
はたして人類は "An End to Murder" ――「殺人期の終り」を迎えることはできるのか。
異色の批評家であった父の遺稿をもとに、その息子が血に塗れた人類史を紐解きながら、人類の根本にある「邪悪な何か――人に残酷な行為をさせる因子」について考察を試みた、コリン・ウィルソン流人類史研究の集大成。
下巻のうち前半は、父であるコリン・ウィルソンのライフワークだった私人としての殺人者――動機なき殺人者や連続殺人者に対する考察を記した草稿――未完の原稿をそのまま掲載している。未完ゆえに結論や総論の類はないが、それでも加害者が、どのような経緯で行為をするに至るのか、数多の文献を元に微細に考察を進めた内容になっている。
後半は、息子のデイモン・ウィルソンが再び筆を執り、父の代わりに結論をしたためた部を載せている。
詰まる所、人が加害に至る要因は複数の因子が重なり合った結果であり、パターン化できる。それを理解し周知できれば、暴力犯罪に関しては、減少・抑止につながる、ということだ。
そして公人や権力者による暴力犯罪――国家犯罪や戦争犯罪も含む――は、「権力の集中」と権力者特有の病――所謂「偏執病(パラノイア)」が主な要因である。偏執病を悪化させた権力者が鳥の眼思考(近視眼的思考)に陥り、理性的な判断ができなくなって目近な脅威の排除に固執することになった時、そして権力が集中されていることで止める側近や組織がいなかった時、それは起きる。ではその防止弁となり得るのは何か。本書がその答えを見つけるきっかけになるかも知れない。
以下、本書の核心に言及しているため、ネタバレ注意。
テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済
殺人の人類史 上巻
優秀な統治をした一方で、残虐な鏖殺や虐殺を行った統治者。
善行をする一方で、異端には残酷な拷問や刑を執行する宗教者。
世界平和を訴える一方で、異論を述べる者には苛烈な口撃を行う活動家。
人間が持つこの二面性は果たして、一個人に限られる固有の特徴なのか、それとも万人に認められる普遍の本能なのか。
異色の批評家であった父の遺稿をもとに、その息子が血に塗れた人類史を紐解きながら、人類の根本にある「邪悪な何か――人に残酷な行為をさせる因子」について考察を試みた、コリン・ウィルソン流人類史研究の集大成。
上巻は、類人猿だった我々の祖先の頃から現代までに至る血みどろの歴史を開陳しながら、普通の人々が争う「根源」についての解読を試みている。最も興味深かったのは、一方的に相手から搾取する行為を「文明的食人」と評したことだ。奪う側は利益を得るが奪われる側は損しかしない。つまり、対象が財産なら「経済的食人」であり、いじめや強姦なら「精神的食人」ということになる。そしてそれは、殺して奪わない点"だけ"を見れば、「文明的成熟の結果として、最悪の犯罪行為までは行われていない」ともとれるのだ。
後半は主に戦争犯罪に言及するが、権力者が戦争を始める経緯の考察、これが2023年に発覚した、某中古車販売・買取会社の一連の件にも当てはまりそうなのだ。つまり企業犯罪、組織犯罪、国家犯罪、戦争犯罪、もちろん細部は異なるが根本だけを抽出すると、これらは全て同一の因子を含有しているという仮説が生まれる。そしてそれは、自覚的であれ無自覚であれ、条件さえ揃えば誰もが抵抗感薄く犯罪に手を染めるであろうことを暗示している。
本書を読めば、どのような権力者や指導者や政治家が犯罪を指示し、そして"奪うことを目的とした"戦争を始めるのかが解る、かもしれない。
ウェルテルタウンでやすらかに
「わたくしは安楽市を、自殺の名所にしたいのです。」
自称町おこしコンサルタントの男はそう宣った。そして犯罪小説家の私に、そのPRの一環として、安楽市を舞台にしたミステリーを一本書いてくれ、と依頼してきた。
私はその依頼を承諾した。しかし、それは彼の計画を潰すためだ。なぜなら安楽市は、私の故郷なのだから――。
過疎化の一途を辿る地方の町を舞台に、剣呑な町おこし計画を潰そうと奮闘する男を語り部にその顛末を書いたエンタメ小説。西尾維新らしく奇矯なキャラも登場するが、派手なアクションもなく全体的には大人しめ。逆に言えば、だからこそ読みやすかった。
内容と言い、話の長さと言い、舞台と言い、登場人物の数と言い、ドラマ化しやすい話。それも民放ではなく、日本放送協会の夜ドラ枠が適しているだろう。